
戦国武将を訪ねて‥
「井伊直政」公

「徳川氏家臣団」の中で12万石と最も高い石高を受けた「井伊直政」公を訪ねて「箕輪城」へ。

「箕輪城」は榛名山の東南麓に広がる独立丘陵上の中心部に位置。西側には「榛名白川」、南側には「榛名沼」があり天然の要害を形成していた。城は1500年前後に築城されたが1590年に入った「直政」公が近代城郭に改修した。写真は「追手門」から入り「郭馬出」へ向かう中にある「木俣」。

「木俣」とは五つ方向に分かれる場所を言う。


「木俣」から復元された「郭馬出西虎口門」が見える。手前には「大堀切」が横たわる。


「大堀切」。

「大堀切」を唯一渡る事が出来る「土橋」。ここを使って「郭馬出」から「二の丸」へと入る。「石垣」は土留めの役割を果たす。

「二の丸」。

東側にある「搦手口」から北に延びる「土橋」。両脇には「堀」が見られる。


城の一番北側に位置する「新曲輪」。城内でも一番広い。

「稲荷曲輪」。

「御前曲輪」。

「御前曲輪」を「西堀」から。高さは十分あるが往時はこの2倍はあったようだ。

「御前曲輪西堀」の「石垣」。

「本丸」。

「本丸」から「西堀」を望む。

幅2.94m、奥行1.54mの「門跡礎石」。その配置から1階建ての高麗門と推測されている。この門の復元計画があるようだ。

「西堀」から右側に上がった部分が「本丸」。

「本丸南堀」。



「三の丸石垣」。城内では一番高い4.1mの「石垣」が確認されている。

「鍛冶曲輪石垣」。「直政」公により城の主要部のかなりの場所で「石垣」が使われたようである。これは「箕輪城」が北関東の要として位置づけれれていた証だろう。

