
戦国武将を訪ねて‥
「北条氏照」公


「滝山城」。ここは「北条氏照」公が「八王子城」を築城する前に本拠としていた城である。「氏照」公を訪ねてこの城に行ってみた。

「大手口」を抜け…

「天野坂」を登ると…

最初の「虎口」に出会う。この城は「武蔵国守護代大石定重」が築城し、後に養子となった「氏照」公が改修したとされてきたが近年の研究で「氏照」公は改修ではなく築城したとされている。又、「大石定重」の養子ではなく「由井領」を支配していた「大石綱周」の養子とされている。


「三の丸」と「空堀」。永禄10年(1567年)「武田家家臣 小山田信茂」らの軍勢が「相模国」に侵攻。「北条軍」は高尾山麗の廿里にて敗退。その後「武田軍」に攻め立てられ「滝山城」はこの「三の丸」まで陥落したが「氏照」公の奮戦により最終的には「武田軍」に「滝山城」の攻略を断念させている。

「千畳敷」。

「二の丸」とそこを守る「空堀」。


「中の丸」とそこから見た「多摩川」。「滝山城」は「多摩川」と「秋川」の合流点にある複雑な丘陵を巧みに利用した天然の要害であった。



「中の丸」から「本丸」へ架かる「木橋」。

「木橋」から見た「堀切」。

「堀切」から見た「木橋」。

1569年(永禄12年)小田原城攻撃に向かう「武田軍」2万が「滝山城」の北側に再度来襲。別働隊の「小山田隊」に対し「氏照方」は迎撃したが一蹴された。「滝山城」は陥落寸前にまで追い込まれるが何とかこれを凌ぐ。しかしこの戦いは「滝山城」の防御体制が不十分であることを浮き彫りにさせ「氏照方」が「八王子城」に移転するきっかけとなった。

