
戦国武将を訪ねて‥「織田信長」公

「信長」公を訪ねて今回は‥


美濃攻略の拠点として築城された「小牧山城」へ。永禄6(1563)年に「信長」公は「清州城」からここに居城を移す。

「大手口」。「小牧山城」の正規の入口にあたる。

「大手道」。近年の研究でその後に築城された「安土城」の‥

山頂に向かって直線に延びる「大手道」の原型である事が分かった。上の写真が「小牧山大手道」。下の写真が「安土城大手道」。

「空堀」。

「桜の馬場」。中腹の曲輪の中で最も大きい。

「大手道」を大きく右に迂回させるのも「安土城」に見られる方法。


「空堀跡」。

現在の天守の廻りから多くの「石垣」が発掘されている。これらは「信長」公が「安土城」築城の13年前にすでに用いていた「石垣」。まさに近世城郭石垣のルーツと考えられている。








発掘された多くの「石垣」が「信長」公の城づくりを物語っている。この技術が後の「安土城」築城に受け継がれていく。

現在の天守最上階からは「犬山城」が望める。

もちろん「犬山城」からも‥

「小牧山城」を望める。

「小牧山城」は現在も「石垣」以外に幾つかの遺構を整備又は復元を施している。写真は裏門にあたる「搦手口」。

「土塁断面展示施設」。後に「家康」公が改修により築いた「土塁」の断面。

「井戸跡」。

「虎口」。「家康」公改修時のもの。

「信長」公の「屋敷跡」。

「土塁」。以上の史跡整備をもっと進めていく為に現在も発掘調査が行われている。あらたな「信長」公が発見された時はもう一度、訪ねてみたい。

