
「武田信玄」公 後篇

「武田信玄」公の‥

父「信虎」公の墓所は「武田神社(躑躅ヶ崎館)」の南にある‥

「大泉寺」境内にある。
参道の紅葉がとても美しい。

本殿の廻りも銀杏の黄色が眩しく輝く。

本殿の華やかさとは対照的にひっそりと「信虎」公の墓所が本殿裏手に建つ。これは「信玄」公自身が父を追放に追いやった為なのか非常に寂しげな佇まいだ。



それでも「武田菱」や「風林火山」の旗が「武田家」ゆかりである事を物語っている。
「甲府五山」。臨済宗に帰依した「信玄」公が京都や鎌倉五山にならい定めた寺院。
ここ「長禅寺」はその筆頭格にあたり「信玄」公はここで儒学等を学んだ。

又、ここは「信玄」公の母「大井夫人」の菩提寺でもある。

「甲府五山 円光院」。

ここには「信玄」公正室「三条の方」の墓がある。

ここは高台に位置し「武田神社(躑躅ヶ崎館)」を望める。

「甲府五山 東光寺」。「信玄」公嫡男「義信」公の墓所も残る。

ここからの眺めも素晴らしく富士の頭も望める。


「甲府五山 法泉寺」。

ここには「信玄」公の跡を継いだ「勝頼」公が眠る。

「甲府五山 能成寺」。もとは現在の草笛市にあったものを「信玄」公がここに遷した。

そして最後に訪ねたのは「逍遥院」。「信玄」公実弟「信綱」公の墓がある。「信玄」公の影武者だったという逸話も残る程「信綱」公は兄に似ていたそうだ。

古くから「武田家」にゆかりのある「昇仙峡」。

そこにある「弥三郎岳」。頂上から見る景色は格別である。ここからも富士の山を拝める。

「武田信玄公火葬塚」。ここは「武田二十四将」の1人「土屋右衛門昌次」の邸内でありここで荼毘に附された。遺骸は菩提寺である「恵林寺」に移され埋葬された。

興味深いのは周囲を堀で囲み塚自体は土塁の上にある。甲斐国の英雄として大切にされているのは、この塚の形や
地元の方達の何気ない清掃姿を見ているだけで見に染みて理解できた。


