戦国武将を訪ねて…「津軽為信・信枚」公

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 戦国武将を訪ねて… 「津軽為信・信枚」公
今回の弘前。仕事の合間をみて訪ねたかったのが「弘前城」「津軽為信・信枚」父子です。
全国的にマイナーかもしれませんが、ここ津軽地方では人気のある戦国武将&弘前藩初代藩主「津軽為信」公。1代で大名に引き上げた上に「津軽」という名を冠してる事からも人気の程は分かります。
ここ「弘前城」「為信」公によって1603年に計画されました。ただし存命中に城を見ることは出来ず完成したのは1611年、2代藩主「信枚」公の代でした。
現在、一帯は弘前公園として開放されています。今回は南側にある「追手門口」から入ってみます。

「追手門」他に4っの城門と3っの櫓があり江戸時代初期のもので、すべて現存しています。

「南内門」築城当初は現存5棟以外に5棟、合わせて10棟あったそうです。この門の内部、もちろん築城当初のままだそうです。ただし一般には入れません。この門を抜けると二の丸です。二の丸に入ると天守が見えるはずです。

この位置「下乗橋」からのアングルはあまりにも有名です。緑が桃色だったら尚、ピンとくるかと思います。
「為信」公はもちろん「信枚」公もこの天守を見ていません。1811年9代藩主寧親公の代に再建された天守で「信枚」公の時代は5層の天守だったそうです。残念ながら1627年に焼失しています。
「下乗橋」を渡り天守に向かう途中、亀の甲羅に似た「亀の石」と…
舞い上がりそうな鶴に似た「鶴の松」が挟み込むように優しく迎えてくれます。
今年は築城400年を迎える記念すべき年だそうです。但し初代天守築城の年からです「為信」公は1607年に京都で亡くなっています。それから4年後に城は完成。1代で津軽統一を成し遂げた功績を天守から確認したかったはずです。
うっすらと見える「津軽富士」。この霊山を仰ぎ見たかったかも、しれません。
現存天守内から見た「狭間」「石落」
天守最上層。内部の質感は決して高くはないが200年の歴史は間違いなく感じます。
破風上部の瓦。寒冷地の為、おそらく銅瓦だと思もわれます。
天守内部は「弘前城史料館」として藩政時代の史料を展示しています。
津軽藩士の仇討ち遺品と明記されています。

天守を出て本丸から蓮池を望みます「為信」が築城にこの場所を選んだ理由を想像するに津軽平野の中央にあり岩木川と土淵川に挟まれた自然要害としての軍事上の利点を考えた、そんな風に感じます。しかし完成をみる事なく「信枚」公にその後を委ねます。

天守を内濠を挟んでみた図です。石垣が少し膨らんでいるのが分かりますか?これは非常に危険な状態で早期に改修しないと、まずいそうです。崩れた場合、天守も一緒に崩壊する可能性は大だそうです。

本丸北側の四の丸にある「北門(亀甲門)」から「弘前城」を後にしました。日本にある12の現存天守のうち規模は小さいが確かに津軽を統一した「津軽家」の息吹は感じました。又、機会があれば(是非、桜の時期に)来てみたい城であり戦国武将の城砦でした。

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